結城モエさんは、2023年10月16日ドラマ『トクメイ!警視庁特別会計係』で警務課で働く警察官の門倉奈々役で出演されますね。
このドラマはには、本庁から特別命令(トクメイ)として派遣された特別会計係の女性警察官・一円(橋本環奈さん)さんが出演されます。
それで、一円さんが、使途不明な経費などがまかり通ってきた所轄署の個性豊かな刑事さんたちや「捜査に金は必要だ!」と話す刑事さんたちと時にぶつかり合い時に協力されるそうです。
そこで、一円さんと所轄署の個性豊かな刑事さんたちと次々と起こる事件を解決へと導く新しい警察のエンターテインメントのドラマとなっています。
それに、結城モエさんは、大学在学中に『ミス慶應コンテスト2014』にエントリーし、ファイナリストに選出された事でデビューされましたね。
そんな結城モエさんの親はどんな人なのか調べてまとめて行こうと思います。
結城モエのプロフィールは?
【名前】 結城モエ(ゆうき モエ)
【本名】 西村萌(にしむら もえ)
【生年月日】 1994年5月18日
【出身地】 福岡県
【血液型】 O型
【身長】 165cm
【靴サイズ】 23.5cm
【趣味】 スイーツ巡り、ディズニーリゾートに行くこと
【特技】 ピアノ(作曲・絶対音感あり)
【星座】 おうし座
【学歴】 慶應義塾大学法学部法律学科卒業
【デビュー作】 2017年7月6日ドラマ『脳にスマホが埋められた!』
【好きな食べ物】 カツカレー
【好きな男性のタイプ】 知的で優しくて男気のある方,特にクシャッとした笑顔を持つ方
【座右の銘】 人間万事塞翁が馬/禍福は糾える縄の如し
人事を尽くして天命を待つ/思考が言葉~性格が運命を作る
【家族】 父、母、3歳年上の姉の4人家族
【事務所】 スペースクラフト・エージェンシー
【画像】父は元新聞記者で母は料理がプロ並みと噂!
父親
結城モエさんの父親は、一般の方で画像はありませんでした。
結城モエの父はどんな仕事をしてたの?
結城モエさんは、お父さんの仕事が新聞記者をやられていて、村山内閣(村山富市内閣・1994-1996年)の時に北朝鮮の訪問に同行した経験があるそうです。
それで、結城モエさんは、お父さんの仕事が新聞記者な事もありますが、村山内閣の時に北朝鮮の訪問に同行したなんて中々出来ない経験ですね。
それに、結城モエさんは、お父さんとよく社会問題についての討論(ほとんど父親の話を私が聞いている)を家にいる時はするそうです。
それで、物知りなので、何の話をしても、お父さんと話す時間は最高の宝物だそうで、新聞を読む習慣がついたのは、お父さんんの影響だそうです。
それに家族と仲がいいので、お父さんやお母さんとは、毎日電話しているそうです。
お母さんと娘さんは一般的に毎日電話するというイメージがあるのですが、結城モエさんの場合は、お父さんとも毎日電話されているので、家族が相当仲がいいんだなと思いましたね。
結城モエさんが高校受験失敗で父のアドバイスとは?
結城モエさんが高校受験に失敗したばかりで落ち込んでいた時に、口から出る言葉もどこかマイナスなモノばかりで察して、お父さんが次のように例え話を使ってアドバイスをされたそうです。
昔、中国のある村に少年がいてその子は馬を欲しがって両親がプレゼントしてくれたそうです。
そして、その子は大喜びで、馬に乗って周ったそうです。
すると、ある村のお爺さんは一言「本当に良かったのかのぉ〜」と言われました。
それから数日後、その少年は、馬から転げ落ちて足を骨折してしまったそうです。
それで、「皆、可哀想、なんて不幸な」と言ったそうです。
すると、また村のあるお爺さんは一言「本当に不幸なのかのぉ〜」と言われました。
そして、それから数日後、戦争が始まり、村からも兵隊として若い者は出動しなければいけなくなったそうです。
それで、皆、涙のお別れをしている中、少年は足を怪我していたおかげで戦争に行かずにすんだそうです。
というお話をお父さんはされました。
それで、結城モエさんは「へ〜!ラッキーじゃん!」と思って聞いていたそうです。
そこで、お父さんが、結城モエさんの座右の銘にもなった『禍福は糾える縄の如し』という言葉を教えてくれたそうです。
この意味は、良い事と悪い事は、順番にやってくるという事だそうです。
そして、父は、人生もまるで、縄の網目のようにプラスの事とマイナスな事が交互にやってくるそうです。
それで「調子のいい時こそ次にやってくる災いに備えて謙虚な行動をし、辛い事があった時こそ次に良い事があると信じて前向きに行動をしなきゃいけない」と言われました。
そこで「不幸だと思っていた事が、実は後から振り返ると良かったと思えるものになるかもしれない。」と話されていましたね。
それは「先になってみないと分からないので、受験に失敗して今は辛いのも分かるが、だからっていつまでもうつむいてちゃダメだ」と話されました。
それにもしかしたら、高校受験に成功していたら「遊び呆けていたかもしれないだろ?」とも言われたそうです。
それで「今回は、第一志望の高校ではなかったけど、この高校に来て、悔しい思いをバネに3年後の大学受験で見返せればいいから大丈夫」とアドバイスをされたそうです。
このアドバイスからも結城モエさんのお父さんの愛情を感じますし、例え話で伝えるというのも素晴らしいので、この様な父を持ったら尊敬するだろうなと思いました。
父は女優になると決めた時どうアドバイスしたの?
結城モエさんは、お父さんのアドバイスにはいつも気づかされる事ばかりだそうです。
それは、私の事を信頼してくれているから答えではなく、考えるヒントを与えてくれるそうです。
それで、女優になると決めた時も「10年後にどんな自分になっているかを見据えて取り組みなさい」とアドバイスをくれたそうです。
それに、普通のお父さんなら芸能界に入る事を反対するか、苦労させないように一般企業に就職して将来結婚して欲しいみたいな感じで、アドバイスするんじゃないかと思いますね。
それと違い結城モエさんは、お父さんから自分で考える癖を付けて小さい頃から続けて来ているので、いざ1人で困難に立ち向かわなくてはいけない時にこの教えが活きてくるなと思いましたね。
それに、結城モエさんは、自分で考えさせる教えやお父さんと議論で、物知りの為、話を聞く事で学べる事も私にとって宝で尊敬するお父さんだそうです。
そして、結城モエさんは、家族と仲がいい事もあると思いますが、毎日お父さんとお母さんとは電話をするそうなので、尊敬をするお父さんだからこそ色々話を聞きたいんだろうなと思いました。
母親
この画像は、2014年六本木に母と姉と結城モエさんが食事に行った時のですね。
結城モエさんのお母さんは、私が泣けば一緒に泣き、私が笑えば一緒に笑う、親友のような、なんでも話せる存在だそうです。
結城モエさんは、赤ちゃんの時からいろんな芸能事務所の方にスカウトして頂いて、お母さんがたくさん名刺を持ってたそうです。
それで、それをずっと横目で見ていたので「芸能がすごく身近に感じている自分がいて、いつかこういう世界に私って行くんだろうなぁ」と思っていたそうです。
このエピソードからもお母さんは、いつも一緒で、ステージママだったのかなと思いました。
結城モエは10年後どうなっていたい?
2020年26歳の結城モエさんは、インタビューで「10年後は、もう少し大人っぽくなっていてお料理も極めたい」と話されていました。
それに「目標として家に人を招きお料理をふるまえる大人になりたい」とも話されていましたね。
それで、母や祖母は、相当な料理の腕前だそうなので、近くで母や祖母のプロ並みの料理を見ていたからこそ料理を極めたいとなっていたんだろうなと思いました。
結城モエさんは、母や祖母の料理が相当な腕前だと言われたので、どんな料理を作るのかなと探して見ましたが、ありませんでした。
それでも結城モエさんが2014年にいつもお仕事を頑張ってるお姉ちゃんの為に作られた料理がありました。
それがこれです。
見た目も綺麗だし、美味しそうですね。
それに、これだけのレベルだったら十分料理が上手いですね。
それで、料理が上手い結城モエさんさんが、母や祖母の料理が相当な腕前だと言われたので、母や祖母の料理はプロなみだと思われますね。
結城モエはピアノは4歳から始める!
この画像は、3歳の結城モエさんで、本格的にピアノを始めたのは4歳なので、大体この頃の年にピアノ始めたのかなと思いますね。
赤ちゃんの頃から母の弾くピアノの音にふれながら育ったそうです。
結城モエさんの成長の過程の中で、常にピアノは横にあって、ピアノの練習で疲れて、ピアノの鍵盤に顔をつけて寝てアトがついたり、譜読みに苦戦して椅子のしたに潜って泣いたそうです。
それに練習をさぼってお母さんに怒られて外に出された事もあったそうです。
このエピソードからも教育ママで、ピアノを小さい頃から弾かれて、怒られながら頑張った結果今では、特技がピアノになるくらいなので、練習を頑張れたんだなと思いました。
それにお母さんが小さい頃に憧れていたけど弾けなくて私にどうしても弾いて欲しいと言っていた曲があったそうですね。
それは、幻想即興曲という曲だそうです。
それで実家に帰った時は、思入れのある曲なので、『幻想即興曲』を弾くそうです。
結城モエさんは、ピアノ4歳から弾かれ、頑張ったおかげで、実家に帰った時に母の聞きたい曲も引ける様になって、ある意味親孝行で続けられて良ったですね。
父、母、3歳年上の姉の4人家族で姉は祖母思い!
姉
この画像は、2014年に結城モエさんが転勤で福岡へ行く事になったお姉さんを空港で見送って来た時のですね。
姉の性格は?
結城モエさんがいうには、私たち姉妹は、幼い頃から性格が正反対だったそうです。
それで、結城モエさんは、母親に甘えてばかりのワガママだそうで、姉は、どこにでも一人でいけて手のかからないお利口さんだそうです。
それに、結城モエさんは、友達と喧嘩したり学校の先生に怒られたりしてやんちゃな性格で、母に迷惑をかけていたそうです。
それで姉は、おっとりしてて優しい物静かな性格で、一つの事を始めたらそれを続ける忍耐力があって、どんなにしんどくても文句一つ言わず、不器用ながらも真っ直ぐに努力出来る人だそうです。
お姉さんは、この性格が後の就職してからの福岡へお婆さんの為の転勤の頑張りにつながると思いましたね。
姉は留学の機会に変わった?
高校生の時に留学をしたのを機に物静かだった姉が、人をリードする存在に変わっていったそうです。
それにみんなに優しいのもあって誰からも慕われ、高校では生徒会長もしたそうです。
中々人って特に性格が変えられないような気がしますが、お姉さんに取って留学がターニングポイントで、人の先頭に立ちリード出来るまで成長が出来たので素晴らしいですね。
姉は祖母思い?
お姉さんは、就職が決まった後福岡への転勤は相当仕事が出来る人間でないと行かせられないと言われたそうです。
それに、最初は東京勤務スタートとなり、上司とは1年半後に福岡へ行くという目標を立てたそうです。
それで、お姉さんの職場のデスクには『福岡 ばあば』という張り紙が貼られていまいした。
その理由は、『ばあば』が元気なうちに、また一緒に暮らしたいからだそうです。
それで、毎朝早く出てゆき0時過ぎに帰ってくるハードな仕事をこなし、あまり感情を表に出さない姉が、上司の前で涙を見せるほど、熱心に頑張ったそうです。
その結果、今までの頑張りと大きな成長と期待を込めて、上司から姉に福岡行きの辞令が出たそうです。
愛するお婆ちゃんの為にここまで頑張るなんて家族思いのお姉さんですね。
妹思いの姉!
この画像が、プレゼントしてもらった靴です。
妹の結城モエさんは、ミス慶應コンテストのお披露目の朝に自転車に追突され怪我をされたそうです。
それでも幸い膝に絆創膏を貼るくらいの打撲の怪我だったそうです。
それで、お姉さんからプレゼントしてもらったお気に入りの靴が、壊れてダメになったそうです。
そこでお姉さんは、結城モエさんの元気のない姿に気づき察して、また、靴をプレゼントしてくれました。
妹思いの素敵なかっこいいお姉さんですね。
祖父
結城モエさんの祖父は、一般の方で画像はありませんでした。
結城モエさんは、2024年春公開映画「乱歩の幻影」に弓子役で主演に抜擢されましたね。
結城モエさんは、秋山監督が、プロデューサーとして2年間、透明感のある弓子役にふさわしい役者を探し続けてきたそうです。
それで、お父さんやお爺ちゃんの影響で幼い頃から古典や文学が好きだった事もあって選ばれたそうです。
やはり周りの環境も大事ですが、古典や文学なんて興味がないと中々続かないので、本当に好きなんだなと思いましたね。
祖母
結城モエさんの祖母は、一般の方で画像はありませんでした。
お婆ちゃんは、結城モエさんがミス慶応候補に選ばれるまでの面接の段階から、「どうか選ばれますように」とお爺ちゃんやご先祖様のいるお仏壇に毎日手を合わせてくれてたそうです。
それに母や祖母は、相当な料理の腕前で、結城モエさんは、お喋りで元気なお婆ちゃんが大好きだそうです。
孫思いの素敵なお婆ちゃんですね。
まとめ
ここまで結城モエさんの親はどんな人なのか調べてまとめさせて頂きました。
結城モエさんは、家族ととても仲が良く、お父さんの事を大変尊敬されていましたね。
それにお母さんの事は憧れだそうです。
これからも結城モエさんは、女優として映画、ドラマ、舞台、CMと活躍されると思います。
今後も応援して行こうと思います。
最後まで読んで頂き有難う御座います。