【特定】田中真美子の中学校は日野第一中!バスケは中学時代が原点!

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田中真美子さんは、2023年実業団のバスケット選手を退団され引退されました。

そんな田中真美子さんの中学を調査した所、日野市立日野第一中学校と分かりましたので中学時代に始められたバスケでのエピソードをまとめて行こうと思います。

それでは見て行きましょう!

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目次

田中真美子のwikiプロフィール

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プロフィール

【名前】      田中真美子
【読み方】     たなか まみこ
【本名】      同じ
【愛称】      マナ
【生年月日】    1996年12月11日
【年齢】      27歳(2024年3月現在)
【出身地】     東京都
【血液型】     O型
【身長】      180cm(現役時代)
【趣味】      読書,映画鑑賞
【特技】      料理
【星座】      射手座
【学歴】      日野市立仲田小学校卒業
          日野市立日野第一中学校卒業
          東京成徳大学高校卒業
          早稲田大学卒業
【家族構成】    父親,母親,兄,真美子さん本人の4人家族
【所属チーム】   2023年富士通レッドウェーブを退団し現役引退

【特定】田中真美子の中学校は日野第一中!

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田中真美子の中学校は日野第一中!

田中真美子さんの中学校は『日野市立日野第一中学校』と分かりました。

それは、日本バスケットボール協会の第2回FIBA U-17女子バスケットボール世界選手権大会に出場される日本代表選手メンバー表に田中真美子さんの名前がありました。

その出身校の所に『日野市立日野第一中学校』と書かれていましたので、田中真美子さんの出身中学は日野市立日野第一中学校となりました。

その日本代表選手メンバー表が次の通りです。

JBA
JBA

こちらが上の画像を拡大した画像です。

日本代表選手メンバー表に書かれている通り田中真美子さんの出身校は、日野市立日野第一中学校ですね。

日野市立日野第一中学校の外観と地図!

スタディピア

こちらの外観画像が日野市立日野第一中学校の正門になりますね。

この中学校は1947年(昭和22年)4月30日開校され2024年3月現在なので、創立76年でまもなく創立77年目に入るので歴史が長い伝統のある中学校になりますね。

住所:〒191-0011 東京都日野市日野本町7丁目7−7

田中真美子の中学時代エピソードまとめ!

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バスケは兄の影響で始めた!

田中真美子さんは中学校から2つ上の兄の影響でバスケットを始められました。

「Red Wave/レッドウェーブ」の公式noteにて次の様に答えられました。

田中選手がバスケットを始めたのは中学生から。
中学では球技系の部活動に入りたい。
2つ上のお兄さんがバスケット部だったこともあって、
田中選手はバスケット部の門を叩きました。

しかし通っていた中学校はけっして強豪校ではありません。
「私も体験入部から始めて、1年生のときはずっと体育館履きで練習していたくらい。
強豪校というより、楽しくバスケットをやっている感じでした」
入学当時のチーム目標は市大会優勝。
しかし田中選手の身長が伸びるとともに、成績も上向いていきます。
3年生のときの身長は177センチ。
チームの目標も東京都大会出場になっていて、
実際にも都大会に出場、ベスト16まで勝ち進んでいます。
熱心な顧問の先生のもと、めきめきと力をつけていったのです。

FUJITSU Red Wave note

田中真美子さんは「中学では球技系の部活動に入りたい。」や「2つ上のお兄さんがバスケット部だったこともあって」と書かれている通りお兄いさんの影響もあって始められましたね。

続けられたのは指導者のおかげ!

田中真美子さんは「中学のときの先生の指導が私の一番の根本にあるのかなという気がします。」と書かれている通り先生の指導(部活の顧問の先生)があってバスケを続けられたそうです。

「Red Wave/レッドウェーブ」の公式noteにて次の様に答えられました。

「中学のときの先生の指導が私の一番の根本にあるのかなという気がします。
バスケットのことを何も知らない私を親身になって育ててくれて、
バスケットの楽しさを知れたことが一番大きかったかなと思っています。
結果は出ませんでしたが、本当にバスケットを楽しくやれた気がします」

三つ子の魂百までと言います。
初めてバスケットボールに触れたとき、楽しく
その楽しさを教えてくれる人がいたからこそ、
今の田中選手はあるというわけです。

FUJITSU Red Wave note

田中真美子さんは続けられた理由として「バスケットのことを何も知らない私を親身になって育ててくれて」と答えられました。

それに「バスケットの楽しさを知れたことが一番大きかったかなと思っています。」とも答えられています。

バスケットは3年間続け結果は出ませんでしたが、中学、高校、大学、実業団まで続けられたので、先生との出会いがなければ今現在の田中真美子さんは誕生しませんでしたね。

田中真美子さんの成績を調査した所、大学3年時にユニバーシアード日本代表として銀メダル獲得され実業団では、オリンピックの日本代表候補まで選ばれたので、素晴らしいなと思いました。

究極の2択でバスケを選ぶ!

田中真美子さんは、中学校に入ると「部活がバスケかソフトテニスしかなかった」と答えられている通り究極の2択でバスケを選びましたね。

産経新聞に次の様に書かれています。

中学校に入ると「部活がバスケかソフトテニスしかなかった」。当時から172センチあり、迷わず選んだバスケで才能を開花させ、年代別代表の常連となった。ポジションは常にリバウンドの要となるセンターだが、「国際大会では180センチは小さい。ゴール下にずっといろとも言われていないし、外から攻めたりスタイルを変えないと」とプレー幅を広げている。

産経新聞

田中真美子さんは「当時から172センチあり、迷わず選んだバスケで才能を開花させ、年代別代表の常連となった。」と書かれている通り究極の選択でバスケを選ばれて正解でした。

それでももし背が高いので、バレーとかあればそっちに行ったのかなと思うので、バレーをやっていても運動神経抜群の為活躍されたろうなと思いましたね。

小さい頃から運動神経抜群!

田中真美子さんは「小さいころから抜群に運動神経が良く、バスケのセンスもあったので中学では1年生からレギュラーだったそうです。」と書かれている通り小さい頃から運動神経抜群でしたね。

地元の住民の方が週刊女性PRIMEにて次の様に答えられています。

「小さいころから抜群に運動神経が良く、バスケのセンスもあったので中学では1年生からレギュラーだったそうです。当時は“背が高くてかわいい子がいる”と評判でしたね。

週刊女性PRIME

地元の住民の方が田中真美子さんの事を「中学では1年生からレギュラーだったそうです。」と答えられています。

それで、初めて始めた中学校でのバスケなのにレギュラーという事は、センスはもちろんですが運動神経が抜群にいいんだなという証拠ですね。

まとめ

ここまで田中真美子さんの中学を調査した所、日野市立日野第一中学校と分かりましたので中学時代に始められたバスケでのエピソードをまとめさせて頂きました。

田中真美子さんの中学は日野市立日野第一中学校でしたね。

それで中学1年から初めてバスケを始められたのにも関わらずレギュラーだったので、センスと運動神経抜群で素晴らしい選手だなと思いました。

2023年惜しくも実業団富士通レッドウェーブを退団し、現役引退を引退されました。

それでも皆さんがご存知の通りメジャーリガーの大谷選手の奥さんになられ、今後は料理も上手いので大谷選手のサポートに専念されると思います。

これからも益々活躍される大谷選手を見られ田中真美子さんは、一般の方になってしまいましたので表舞台には頻繁には出られないと思いますが、綺麗な方なのでたまには出て来て欲しいですね。

最後まで読んで頂き有り難う御座います。

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